太郎冠者



江戸京橋の蝋燭問屋生駒屋は、江戸でも五指に入る大店で。
その生駒屋の当代の主は、元々はこの店の大番頭。

それ故か、常に奉公人たちに温情深い主との評判で。
お店の方も益々繁盛していたが、その事以上に彼が気を回していたのは、離れに棲む若隠居の事だった。

それにはワケがある。
寺子屋で読み、書き、算盤を習ったあと、数えの十二歳の時、この生駒屋に奉公に来た。
以来、三十有余年。
真面目に勤め上げ、大店の凄まじい出世競争の中、丁稚、手代、番頭と順調に昇進してきた。
先々代、先代の主にも可愛がられ、行く行くは暖簾分けという話になったはずだった。
しかし。
先代主が病に倒れ、店の切り盛りから看病まで、すべて仕切ることとなった。
ならばこの上は、このお店に骨を埋めよう・・・と腹をくくった。
いや、最初からそのつもりだったのだ。
暖簾分けは奉公人の誰もが夢見る事ではあるが、その場合、主家の商圏外に店を持つか、別の商品を扱わなければならなかった。
それを寂しく思うほど、生駒屋が好きだったのだ。

先代主夫婦には子供が無く、養子を貰っていた。
武家の次男で、物心つく前に貰われたその男の子は、百介といった。
先々代にも良く懐き、皆から可愛がられて大きくなった。
いずれ彼を主に戴き、自分はその下で店を盛り立ててゆく・・・
生駒屋の誰もが、そう思っていた。


『養子の私が、生駒屋の身代を潰したら申し訳ないでしょう』

そう微笑んで、百介はあっさりと身代を大番頭に譲り、自分は隠居してしまったのだ。
そう告げられても直ぐには信じられず、何か企みでも有るのか?と、勘繰ったのは無理も無い事だろう。
しかし百介は、店の金を無心するでも無く、子供のやる考え物の仕事を生業として、細々と暮らしていた。
唯一の望みは、先々代の集めた書物文書のある離れに居たい。唯それだけ。

蝋燭問屋生駒屋といえば、江戸市中は元より、近隣までも名の通った大店。
その身代は相当のものだ。
それよりも、あの埃臭い紙の束が好いという百介に、最初は呆れた。
しかしそれは直ぐに、別の感情へと移行した。

この感情に敢えて名を付けるなら、なんだろうか?と度々考える。
『忠誠』?『保護欲』?・・・・・・
一番近いのは、『盲愛』では無いかと思う、今日この頃の生駒屋だった。



却説。
そろそろ昼になろうかという頃。一人の小女が主に「お話が」と、声をかけた。
元が奉公人であっただけに、大店の主とはいえ、下の者にもよく気を回している。
何かあったら直接言うようにと、店の者には言い含めてあった。
その小女は、離れ担当の者。それが何か、思い詰めた様子。
「どうしました?若旦那に何か、拙い事でもありましたか?」
「それが・・・」
おずおずと小女が語ったのは、何とも取り留めの無い話だった。
「椿・・・ですか?」
「はい」
今朝。離れに朝餉の膳を届けた時、椿の枝があったと言うのだ。
「若旦那がご自分で、どこぞで手折って来られたんじゃないのかい?」
「いえ、そんなはずは」
無いと言う。
昨夜の夕餉の膳を片付けに行った時には、無かったのだ。
そしてその後、出掛けた様子も無い。
だいたいが、偶に旅に出る以外、あまり外に出ない人なのだ。
「じゃあ、どこから・・・」
天から降って来たとでも、言うのか。
「実は未明に、厠に起きたのですが」
その時に・・・
見たんです。と、小女は声を震わせた。


___離れの若隠居の所に、夜中に通っている者が居る・・・

そう聞いて、主は軽い目眩を覚えた。
しかもそれは狐狸妖怪の類だと、小女は言い張った。
「だって足音もしなかったし、滑るように離れの中から現れて・・・」
夜明け前の闇の中に、解ける様に消えて行った。
しかも今朝の若旦那は、何やら身体がだるそうな様子だったと付け加えた。
「何か怖い物にでも、とり憑かれたんじゃあ・・・」
滅多な事を言うもんじゃありません。と、小女を叱り、主は商いもそっちのけで、離れへと向かった。

離れの中は相変わらずの書物文書の山、山、山。
その埃臭い真ん中で、若隠居は笑顔で生駒屋を迎え入れた。
「何か有りましたか?」
と、心配そうに首を傾げる百介は、いつもの人好きのする柔和な表情で、とても狐狸妖怪の類にとり憑かれているとは思えない。
どう話を切り出そうかと目線を巡らせていると、文机の上の水差しに目が止まった。
「椿・・・」
紅も鮮やかな椿が一輪。華奢な姿をさらしていた。
「え?」
生駒屋が椿を凝視しているのに気付いて、百介の表情が微妙に変化する。
それを目の端に捕らえ、生駒屋は嫌な予感がした。
「この椿、どうされたんです?」
つい声が高くなる。震えていたかもしれない。
いまにも掴みかからん勢いで、百介に尋ねる。
「そ、それは・・・」
ぽっ・・・と百介の頬が紅く染まった。

 昨夜遅く、旅先でお世話になった方が訪ねておいでになって

 お土産にと下さったんです

離れから母屋に戻る渡り廊下を歩きながら、生駒屋は大きくため息を吐いた。
『旅先でお世話になった方』という百介の言葉を疑うつもりは無いが、そんな夜半に、しかも裏木戸からやってくる者とは如何なものか。
狐狸妖怪では無いにしろ、あまり良い者とは言えないのでは?
そう詰め寄ろうとして、出来なかった。
何故なら椿を見やる百介の表情が、余りにも幸せそうだったから。
「若旦那はお人がいいから・・・」
よもや誑かされているのでは?とも思う。
しかし。
「あんなお顔、見せられたらなぁ・・・」
華奢な椿に負けないほどに、はんなりと微笑んで。
そんな百介に、何を言えるだろう。
「ま・・・今はいいか・・・」
但し。
「もしも若旦那を哀しませるような事をしたら、許さん!」
そう呟いて、生駒屋は拳を握りしめた。



夜半。
りん。と鈴の音が聞こえ、離れの障子窓が待ちわびたように開く。
いっそ狐狸妖怪の類の方が、祓い易かったのでは・・・と思いつつ、生駒屋は布団の中で寝返りを打った。


「そう言えば、又市さん」
「へい?」
「先日頂いた、椿。なにか由緒のある枝なのですか?」
「はぁ?そりゃまた、何故のお尋ねでィ?」
「いえ実は、お店の主が甚く気になるようで。これはどうしたのか?と詰め寄られたもので」
「ほお・・・」
又市の口の端が微かに上がる。
「あの椿はァ、京では有楽椿とォ呼ばれておりやすとか・・・」
「有楽椿?あの銘椿の」
「江戸では太郎冠者てぇ・・・名でございやすがね」
「ああ、それで。それで、あんなに気にしてたんですね。主は」
これで得心がいったとばかりに、百介は微笑んだ。
「まるで先生のようで・・・」
くすり・・・と、笑みを漏らすような声が耳元で囁くのに、百介の頬は紅くなる。
「もう。いやですよ、又市さんは〜」

今はまだ、太平楽に夜が深ける------------------



〜了〜






『太郎冠者』
なんか有名な椿の名前らしいんですが。
茶の湯の世界では知る人ぞ知るみたいな銘椿・・・らしい(爆)

しかし狂言の世界で『太郎冠者』つたら
お人好しの主人公の事ですがな(笑)

さあ、百介センセはどっち?(敢えて問う!みたいな〜/笑)


な〜んかアニメ版じゃないですにゃあ。
やっぱ捏造版てカンジですか・・・生駒屋出してしまうと。
アニメ又さんが椿一輪持ってくるトコ、想像できねぇし・・・?
いや、持って来て頂いても無問題だけどぉ〜。


捏造又さんなら、甘い話、どれだけでも書けそうだよ・・・優しいから(少なくとも人間だし・・・爆)



<04,09,04>














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