「ねえ、又市さん。何かこれだけは、どうしても欲しいって物、有りますか?」
「なんでやす?急に」
旅の途中の道すがら。今日の宿となる朽ち果てた山小屋で。
百介の唐突な問いに、囲炉裏の火を見ていた又市は怪訝そうに顔を上げた。
「いえね。私はあまり、そういった事が無かったんですが・・・」
「ほう・・・」
だからどうした?と謂わんばかりの又市の声に、百介は苦笑をもらし先を続ける。
「最近、そうでも無い事に気がつきました」
「先生にも、咽から手ェ出るほど欲しい物がお有りになると?」
「ええ。何だと思います?」
「さぁて・・・何でやしょうね?先生の欲しい物と言われやしてもねぇ・・・。奴(やつがれ)
には見当もつきやせん」
「そうですか?」
百介は薄く微笑んだ。
◇◇◇
先日、百介は感冒に罹った。
夜を徹して書に読み耽り、その果てだったから疲れもあったのだろう。
母屋の座敷に床を移す、という生駒屋の主人の言葉を押し切って、相変わらずの離れに延べた布団で百介は寝ていた。
咳は治まったものの、熱が中々引いていかない。
外は雨。
世間の気配が吸い込まれてしまったかように、静かな夜。
-----ああ・・・雨の音が・・・・
熱に浮かされた頭でぼんやりと、そう思った。
----又市さんに初めて会ったのも…こんな日だった・・・
身体が酷く重い。
苦しくて、息をするのも儘ならない。
重い手足はさらに重く、今にも引き千切れそうに思えた。
----このまま私は…死ぬ…のか・・・
これが『死』というものなのかと、他人事のように思う。
中途半端な私には
---走馬灯も見えやしない・・・
何故か、くすり…と哂えた。
走馬灯の代わりに見えたのは
暗闇に浮かぶ白き・・・影
燐光の如く儚げに
明滅する命の光にも似て
ふわふわと
ひらひらと
近づいては遠ざかる
---置いて行かれる----
そう感じて悲しくなった。
去られる前に
いっそこの手で捕まえて
繋ぎ留めてしまおうか
籠に入れて鍵を掛け
雁字搦めに封をして・・・・・・
嗚呼・・・
「私は・・・なんて」
強欲なんだろう・・・
掠れた声で呟くと、冷やりとしたモノが額に触れた。
二度、三度。
額に・・・
瞼に・・・
頬に。
熱い身体に心地よくて、百介は小さく息をつく。
そして最後は唇に。
その冷やりとしたモノは触れて、離れた。
「先生・・・御自愛なさって下さいやしよ」
次いで聞こえた声は、熱に浮かされた幻聴だったのか・・・
◇◇◇
「わかりませんか・・・」
溜め息交じりに呟く百介に、又市は問うでもなく、ただ目を向けていた。
その視線を眩しげに受けながら、百介は独り言のように呟く。
「でもそれは、私の物にはなりませんよ。いつかきっと、私の前から消えてしまう・・・」
解ってるんです、と百介は微笑んだ。
「でもね。又市さん」
「・・・へい」
「そう解ってはいても・・・その日の事を考えると・・・私はね」
百介の言葉の先は無く、ただ噛み締めた唇が紅く・・・
「先生!」
又市の手が伸びて、百介の顎を捉える。
「え?」
「唇が切れてやす。血が・・・」
言葉の代わりに又市の舌が、百介の切れた唇に滲む血を舐め摂ってゆく。
百介は唯されるまま、又市に身を預けていた。
恍惚と
目に映るのは ただ
目の前の彼の人だけ
焔に映えて 紅に染まっていた
〜了〜
呉藍・・・って、紅の事だと・・・違うのか?(汗
それはともかく。
うちはどうも、百センセがけっこう強気です。
基本的には《又百》なんですが、センセの方が積極的なようで・・・
果たして又市さんは、どこまでこの攻撃に耐えられるか?
乞う!ご期待(しなくていいです・・・)
<04,01,18>
Kao.Nの《後呉藍》もございます〜。
やっと送られてきましたよ・・・
<04,09,11>