決め手搦め手〜弐〜

 朝早く八王子を発ち、江戸の御符内に入った頃にはもう日が傾いていた。その間十里の隔たりがある。
 それでも月に一度は、山岡軍八郎と田所真兵衛はお互いの家を訪れていた。
 囲碁を打つためだ。

 今回は軍八郎が田所の家に来ていた。そのまま泊まり、府内の古本屋を巡る。
 八王子千人同心である軍八郎は、八王子に土地を拝領し暮らしている。お役目の無い時は剣術の鍛錬をしたり、また自分の土地で耕作をして過ごしていた。
 手土産に持参した胡瓜と茄子を、田所が早速糠漬けにしたのを思い出し、軍八郎の口元に笑みが浮かんだ。
 少なくとも野菜等の食べ物は購わなくても手に入る。それなりに耕作していれば飢える事は無い。
 しかし。
 書物芸能その他諸々、様々な情報等が届くのには時がかかり、常にどこか飢えているような、そんな気持ちが軍八郎にはあった。
 其れを癒す古本屋巡りのため、時々こうやって八丁堀の田所の家に連泊させて貰っているのだ。
 ―甘えている―― そう思う。
 まだ前髪の頃から同じ剣術道場で過ごしていた田所には、どこまでも気を許している己に気付き、軍八郎は苦笑した。

 何件かの店を巡り、それなりの成果を上げて八町堀に戻ると、すでに田所は帰っていた。簡単な夕餉の後、早速と酒を呑みつつ碁盤を囲む。肴は田所が漬けた茄子と胡瓜。
 石を打つ合間に軍八郎が今日の成果を話していると、田所が何を思い出したのか、くつくつと笑う。
「何じゃ?」
「うむ」
 何やら躊躇している。重ねて問えば、実はな…と薄い包みを取り出した。
「これは?」
 形から中身は本だと知れるが、田所は中々出そうとはしない。
「あ〜…その…実はな、軍八郎。お主先日、拙者に尋ねたであろう?」
「え?」
「ほら、そのあれじゃ…相撲の型だと思った」
「ああ。松葉くずしか」
「うむ。それじゃ…」
 応える田所の顔が微かに紅くなる。
「まだ知りたいか?軍八郎」
「そうさなぁ」
 軍八郎は溜息を吐く。
「結局あれから有耶無耶になって、判らず終いじゃ。出来る事なら知りたいがな」
「そうか」
 そう言うと田所は碁盤を脇に退け、先ほどの包みの中身を差し出した。
「四十八手本じゃ」
「うむ」
「但し相撲の、では無い」
「え…」
 軍八郎の頬が朱に染まる。渡された本の題は「秘戯艶説枕筥」。閨での行為の指南書だと知れた。
 中には絡み合う男女の色鮮やかな画。細々とした説明の文もある。
「松葉くずしと言うのは…ほれ、これじゃ」
 示された頁に、軍八郎の頬が益々紅くなる。
「このような事を…」
 皆に尋ねていたのか、と肩を落す軍八郎の盃に酒を注いでやる。
「ご愛嬌、ご愛嬌。誰も気にしておらんよ」
 まぁ飲め、と田所は盃を示した。
「そうだろうか?」
「お主の堅物さは、皆も存じておるのだろう?」
「それは…」
 口篭って、そのまま一気に盃を呷る。空になった盃に、田所は更に酒を注いだ。
「まぁついでだから、後学のために他の型も見ておけ」
「他人事だと思いよって」
 紅い顔のまま涙目で軍八郎が睨むのに、田所はくらり…とした。
「田所?」 
「ああ…いや…」
 酔ったかな…と呟いて、その酔いに身を任せてみたくなる。
 軍八郎の顔が、すぐそこに在った。
「何なら試してみるか?」
「戯言を。もう酔ったのか」
「ああ酔ったな。戯言だ」
 ふう…と大きく息を吐き、どちらからとも無く笑い出した。
「以前にも」
「んん?」
「こんな事が有ったな」
 田所は笑いながら、物問いたげな軍八郎に酒を勧める。
「あの時も二人で春本を見ていた」
「…ああ」
 思い至ったのか、軍八郎も盃を手に苦笑を浮かべた。
 まだ同じ道場に通っていた頃。初めて見る春本の男女の秘儀に、興奮の余り互いで慰めあってしまった事があった。
「まだ子供だったからな。あの時は…」
「そうだな」
 そう応えながら、田所はあの時の幼さゆえの熱を懐かしく思い出していた。
「のう、田所」
「ん〜?」
 酔っ払い特有の間延びした返事が妙に可笑しくて、軍八郎は己も酔っているのに気付く。それに任せて先を続けた。
「拙者は…松葉くずしは気に入らん」
「はぁ?」
 そりゃまた何故?と問う田所に、あれは互いの顔が離れすぎてて寂しいではないか、と応えた。
「これはまた、可愛い事を言う」
「酔おうておるからな」
 にやりと笑う軍八郎に、ああ成る程と笑いながら田所は、肩に腕を回し引き寄せた。


〜了〜



追記―

「明日もまだ、居るのだろう?」
「ああ」 
「実はな・・・」
「んん?」
「百介に会ったのじゃ」
「ほう…何処で?」
「貸本屋でな。それ、その本を借りに行ったのじゃ」
「はは…高かっただろう」
「まぁな。いや…そんな事より。お主の行き付けの古本屋、百介に教えておいたからな」
「え…?」
「明日行くそうじゃ」
「田所…」
「お主は妙に頑な処があるからなぁ。こうでもせんと、中々会えぬだろ?弟に」
「…済まぬ。お主には甘えてばかりだ・・・」
「気にするな」





「松葉くずし」ネタ第2弾(笑)
某オヤビンに捧ぐ〜…いらないか
「子供だった」頃の「あの時」の二人の話は、『隠し部屋』の方に
興味のある方は覘いてみてください。通称『蛍』

05,07,12


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