決め手搦め手



 夕暮れの縁側に碁盤を置いて、山岡軍八郎と田所真兵衛は碁を打っていた。

 月一ぐらいの割合でするこの対戦は、他にあまり趣味のない堅物二人にとって、数少ない楽しみだ。
 今日は田所の方が、八王子千人同心である軍八郎の役宅に来ていた。
 江戸から十里。そうそう気軽に来られる距離ではない。ましてや田所は江戸北町奉行所定町廻り同心。お役目がある。
 対戦できる時間は限られていた。

 ぱちり、と軍八郎が置いた石を、田所は睨みつけ唸りだす。
 その様子に笑みを浮かべ、軍八郎は傍らに置いた茶碗を手に取った。中の茶はとうに冷めている。
 それを一口含んで、ほっ…と息を吐いた。
「田所。今日は何刻まで良いのじゃ?」
「ん?ああ…明日は休みになっておる。故に遅くなっても構わん」
「左様か。ならば今宵は、治平に何か旨い物でも見繕わせようかの」
「それは愉しみだな。と」
 田所は言葉と共に碁石を盤に置いた。
「やや!う〜む…」
 今度は軍八郎が、石を睨んで唸りだす。田所は茶碗を手にして、にやりと笑った。

「ああ…そう言えば」
 軍八郎が急に何かを思いついたように、言葉を漏らす。目は相変わらず碁盤の上。
「お主、相撲は詳しいか?」
「相撲…?それはまぁ、両国には度々行くが…」
 何故?と問えば、軍八郎は目線を動かさぬまま先を続けた。
「いや、相撲の型で『松葉くずし』とは、どんな型じゃ?」

 ぶーーーーっ!!

「何じゃ、突然!」
 盛大に茶を吹いた田所に、軍八郎が怪訝そうな顔を向ける。
「い…いや…その型だがな…誰に聞いた?」
 げほげほと咽ながら問う田所の顔は赤い。
「大丈夫か?顔が赤いぞ」
「いいいいや、大事無い。それより誰がそんな…」
「おお、それはな」
 と軍八郎が語るには…


 先日、役所に出向いた折、同僚達が集って何やら盛り上がっていた。
 何とはなしに聞こえてくるのは「型がどうとか」言う言葉。折りしも十日間の相撲興行がが始まったばかり。昨日もその話題で持ち切りだった。
 誰か相撲見物に行ったのかと、更に聞き耳をたてた。
「―――松葉くずし」
 そう聞こえた。はて、そんな型はあったかな?と軍八郎は首を傾げた。


「そういう事か。お主、本当に知らんのか?」
 赤い顔のまま、田所が咳き込むように尋ねた。
「ああ、知らん。そんなに有名な型なのか?」
 心なし気落ちしたように、軍八郎の声が落ちる。
「だから皆、尋ねても答えてはくれなかったのか…」
「尋ねたのかっ!?」
 田所の絶叫に、軍八郎は怪訝そうにその顔を伺い見た。
「うむ…拙かったかのう?」
「いや…それは」
 拙いというか何というか。ある意味、非常に拙いのかもしれない。
「その…お主。何と尋ねたのじゃ?同僚に」
「む…それはな。松葉くずしとはどんな型なのか、拙者にもご教授下さらんか。と」
 そう尋ねたのだと応える軍八郎の頬は、その時の事を思い出してか、ほんのりと紅く染まっていた。
「うむむ」
 田所の唸り声に、更に頬の赤味が増した。
「何かそんなに非常識な事を尋ねたのか?」
 なあ田所?と上目遣いに問いかけられ、田所は一瞬、忘我しそうになり慌てて頭を何度を振った。
「嗚呼…」
 やはり…と言う様に軍八郎が溜息を吐く。
「な、なんじゃ。軍八郎」
「いや…尋ねた同僚達もな、お主の様に口篭り」
 果ては頭に血がのぼったか、鼻血騒ぎで結局有耶無耶になってしまった…と、項垂れた。

 そりゃ鼻血も噴くだろう…

 すっかり意気消沈した軍八郎を見ながら、田所は思った。
 この山岡軍八郎。真に好い漢だが、自分を知らなすぎる。己の容姿にまるで頓着しないのだ。
 無論、男たる者、見てくれに拘るなど女々しいと言う者も居るだろう。
 軍八郎とて頗るつきの美形というわけではない。ただ時々の表情や所作が、途轍もなく気をそそる。
 特に物を問う時、癖なのか小首を傾げて少し上目遣いに相手を見る。それがどれほど相手の心を騒がせているか気付かずに。
 それがまったく無防備に、今度の様な問い掛けをしようものなら…
「お主になら、松葉くずしがどんな型か、教えたい輩は沢山居るだろうに」

 それこそ手取り足取り腰取って…

「知っておるなら教えてくれぬか?田所」

 松葉くずしを・・・

「おおっ?」
「どうした田所!お主まで鼻血か?」
 訝しがる軍八郎に何でも無いと手を振って、田所は天を仰いだ。





〜了〜




05,07,05
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送